楽器大好き!

趣味は「楽器演奏」   。。。ならぬ「楽器収集」

カテゴリ: ピアノ

まだピアノをやめてしまった理由を書いていませんでしたね。
高校の特別入部の話から少し戻りますがお付き合い下さい。

中学2年のとある水曜日。
毎度の如くピアノは弾いていても遊んでばかりでぜんぜん課題の曲の練習をしていないので
前回指摘されたところが直ってるワケがなく
「叱られるんだろうな~。。。
と思いながら重い足取りで坂道を上がって行きました。

ピ~ンポ~ン。。。

先生の返答はありません。

ピ~ンポ~ン…ピ~ンポ~ン…ピ~ンポ~ン…
。。。ただレッスンを忘れてお留守にされているのではない
胸騒ぎを感じました

フェンス越しにピアノが置かれているはずの部屋を覗くと
掃き出し窓から見えるはずのピアノが忽然と消えています。

それ以前に、他の家財もなにもない

何も言わず、先生はある日突然消えてしまいました。
後々思うといわゆる「夜逃げ」というヤツだったのでしょう。

ピアノも先生も好きではなかったけれど
なんとも後味悪いピアノレッスンの幕引きでした。


小学4年生頃からお爺ちゃんと同居し始めました。
祖母は大変行儀に厳しくて子供の私には怖い存在でしたが
その分、お爺ちゃんは優しくて
私はお爺ちゃんっ子だったのです

ウチの母、祖母は音痴なのですが(こんな事書いたら怒られますね。)
お爺ちゃんは歌が上手な人でした。

大正生まれなので戦争体験者。
自らも陸軍兵だったので、私に歌って聴かせる歌も
「戦友」とか「ラバウル小唄」など軍歌の他
「リンゴの唄」だとか「青い山脈」とか。。。



当時はパソコンなど普及してませんから
そんな楽譜を取り寄せる術もなく
お爺ちゃんの唄だけを頼りにコードを付けて
アドリブで弾きます。
するとお爺ちゃんも上機嫌にピアノの傍らで
次々に歌ってくれます。

レッスンで出された課題は
運指練習の小フレーズばかりで楽しくなかったので
10分ソコソコしか練習せず、ピアノに向かってる時間の殆んどが
遊びでした。

そりゃ、何年経っても一向に黄バイエルが終わらないはずですね

あんなに習いたくて習いたくて
両親を口説き落として始めたピアノだったのに
小学校3年生辺りから
段々レッスンをサボるようになりました

元々、好きな曲を適当にコードを付けてアドリブで弾くのは好きだったけど
実は譜面の読み方(初歩の楽典)も苦手
そこに加えて、先生の方針で
レッスンの後半は(※1)ソルフェージュ加わるのですが
初見が利かないので一番の苦手課題になってしまう

レッスンに付いていた先生はヒステリックなところがあって
音程が違うと厳しく叱責されます

高校に入ったらそれより何倍も怖い鬼顧問に出会うのですが
小学生の私には
行くたびに厳しく叱られるレッスンが恐怖だったのです

(※1)ソルフェージュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

私がピアノを習っていたのは
自宅で数人の子供に教えている教室だったので
ホールを借りて盛大な発表会があるわけではありませんでした。

数年に1度、先生のお宅のピアノのある大きめの応接室での
サロンコンサート的な物があっただけです。

初めての発表会は小学校3年生の夏。
演目は「かわいいオーガスチン」でした。



(参考動画です。私本人ではありません。)

習い始めて3年目にしては進んでないでしょ

たかだか習ってる子供とその親だけだから15人も居るか居ないか
ぐらいの前で16小節しかない曲を弾くのですが
その緊張した事といったら。。。

後に吹奏楽をやるようになって1000人以上入るホールで
ソロなんて叩くようになるなど夢にも思っていませんでした。

でも、確かトチらずに弾けたと思います。

最後に先生のご専門のコントラバスのソロを披露。
花束を差し上げたのを覚えています。

ピアノを習い始めてしばらくは
従姉のお下がりのオルガンで練習していました。

赤バイエルも半ばまで来るとスタッカートの練習に入ります。

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バーナム・ピアノテクニックでは鍵盤が足りません。
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私は両親に
「スタッカートが鳴らないからピアノが欲しい。」
とねだります。
しかし、ごく普通のサラリーマン家庭で
100万近くするものを、子供がねだったからと言って
「おおそうか、分かった。」
とすぐに買い与えられるものではありません
その頃、我が家になかったお雛様も欲しい。
でもピアノも欲しい。。。

両親に
「買ってあげるけど、ピアノかお雛様のどちらかにしなさい。」
と言われました。

その選択はそんなに難しいものではありませんでした。
あっさりピアノに決めた私は
しばらく両親と楽器店巡りもする事になります。

両親も私も、ピアノメーカーや音の良し悪しの知識はありません。

私に店中のピアノを弾かせて好みの音を選ぶしかないのです。
結局無名のメーカーですが
金属的な音がしないのが気に入って
マホガニ塗りのアップライトピアノが私の相棒になりました。

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小学校3年生の夏の事です。

小学校に上がると同時に私は某県に引っ越して来ました。
が大きくなって念願の子供部屋を与えられたので
従姉が処分しようとしていた古いオルガンを譲って貰ったのです。

相変わらずアニメの主題歌や童謡などを弾いて遊んでいました
その頃は左手のコードも分からず右手だけ。
指使いもメチャクチャに弾いていたのでしょう。

幼稚園まで住んでいたのはアパートだったので
周りにピアノをやっている子は居なかったけれど
田舎町の戸建が並ぶ団地に引っ越して来ると
殊に女の子は誰も彼もピアノかエレクトーンを習っています。

楽器好きな私はもう、習いたくて習いたくて仕方ありません。

どうしてエレクトーンではなくピアノを選んだのかは忘れましたが
両親に
「ピアノ習いたい
と再々訴えました。
しかし両親はなかなか首を縦には振ってくれません
どうしても習いたかった私は、何人もの友達に聞いて
近所で教えている先生を見つけました。
家に帰ると母の手を引っ張って
「ここのおウチにピアノの先生が居るから習わせて。」
と連れて行ったのです。

元々言い出したら聞かない子供でしたが(今も?)さすがの両親も
小学1年生の行動力に
とうとう根負け。

晴れて小学校1年生の初夏。
ピアノを習う事になったのです。

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現在のレッスンの話と昔話が交錯しますが
今日は私が音楽に出会ったきっかけのお話を
書きたいと思います。

まだ赤ちゃんの頃、両親に与えられたおもちゃのピアノが
ありました。
残念ながらン十年前のものなので写真が現存しませんが
上のようなピアノで白鍵の色が1つずつ違っていて
虹のような鍵盤のピアノでした。

勿論、乳児期はただ鍵盤を「ギャン、ギャンギャン
と殴っていたのでしょうが
手先の成長発達に伴って
指の分離運動ができるようになりひとつずつの鍵盤を弾く(触る?)
ようになって行ったそうです。

ある日(母によると3歳になるかならずやの頃だったそう。)
テレビのCMに使われているフレーズを
突然弾いたのだとか。。。

自分の名前すら読めない時期。
当然楽譜が読めるワケもなく、いわゆる「耳コピ」で弾いていたのだと思います。

両親は
「末はピアニストか?作曲家か?指揮者か
と大層期待したらしいですが
タダの「楽器バカ」に育ってしまいました

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