楽器大好き!

趣味は「楽器演奏」   。。。ならぬ「楽器収集」

カテゴリ: ピアノ

あんなに習いたくて習いたくて
両親を口説き落として始めたピアノだったのに
小学校3年生辺りから
段々レッスンをサボるようになりました

元々、好きな曲を適当にコードを付けてアドリブで弾くのは好きだったけど
実は譜面の読み方(初歩の楽典)も苦手
そこに加えて、先生の方針で
レッスンの後半は(※1)ソルフェージュ加わるのですが
初見が利かないので一番の苦手課題になってしまう

レッスンに付いていた先生はヒステリックなところがあって
音程が違うと厳しく叱責されます

高校に入ったらそれより何倍も怖い鬼顧問に出会うのですが
小学生の私には
行くたびに厳しく叱られるレッスンが恐怖だったのです

(※1)ソルフェージュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

私がピアノを習っていたのは
自宅で数人の子供に教えている教室だったので
ホールを借りて盛大な発表会があるわけではありませんでした。

数年に1度、先生のお宅のピアノのある大きめの応接室での
サロンコンサート的な物があっただけです。

初めての発表会は小学校3年生の夏。
演目は「かわいいオーガスチン」でした。



(参考動画です。私本人ではありません。)

習い始めて3年目にしては進んでないでしょ

たかだか習ってる子供とその親だけだから15人も居るか居ないか
ぐらいの前で16小節しかない曲を弾くのですが
その緊張した事といったら。。。

後に吹奏楽をやるようになって1000人以上入るホールで
ソロなんて叩くようになるなど夢にも思っていませんでした。

でも、確かトチらずに弾けたと思います。

最後に先生のご専門のコントラバスのソロを披露。
花束を差し上げたのを覚えています。

ピアノを習い始めてしばらくは
従姉のお下がりのオルガンで練習していました。

赤バイエルも半ばまで来るとスタッカートの練習に入ります。

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バーナム・ピアノテクニックでは鍵盤が足りません。
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私は両親に
「スタッカートが鳴らないからピアノが欲しい。」
とねだります。
しかし、ごく普通のサラリーマン家庭で
100万近くするものを、子供がねだったからと言って
「おおそうか、分かった。」
とすぐに買い与えられるものではありません
その頃、我が家になかったお雛様も欲しい。
でもピアノも欲しい。。。

両親に
「買ってあげるけど、ピアノかお雛様のどちらかにしなさい。」
と言われました。

その選択はそんなに難しいものではありませんでした。
あっさりピアノに決めた私は
しばらく両親と楽器店巡りもする事になります。

両親も私も、ピアノメーカーや音の良し悪しの知識はありません。

私に店中のピアノを弾かせて好みの音を選ぶしかないのです。
結局無名のメーカーですが
金属的な音がしないのが気に入って
マホガニ塗りのアップライトピアノが私の相棒になりました。

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小学校3年生の夏の事です。

小学校に上がると同時に私は某県に引っ越して来ました。
が大きくなって念願の子供部屋を与えられたので
従姉が処分しようとしていた古いオルガンを譲って貰ったのです。

相変わらずアニメの主題歌や童謡などを弾いて遊んでいました
その頃は左手のコードも分からず右手だけ。
指使いもメチャクチャに弾いていたのでしょう。

幼稚園まで住んでいたのはアパートだったので
周りにピアノをやっている子は居なかったけれど
田舎町の戸建が並ぶ団地に引っ越して来ると
殊に女の子は誰も彼もピアノかエレクトーンを習っています。

楽器好きな私はもう、習いたくて習いたくて仕方ありません。

どうしてエレクトーンではなくピアノを選んだのかは忘れましたが
両親に
「ピアノ習いたい
と再々訴えました。
しかし両親はなかなか首を縦には振ってくれません
どうしても習いたかった私は、何人もの友達に聞いて
近所で教えている先生を見つけました。
家に帰ると母の手を引っ張って
「ここのおウチにピアノの先生が居るから習わせて。」
と連れて行ったのです。

元々言い出したら聞かない子供でしたが(今も?)さすがの両親も
小学1年生の行動力に
とうとう根負け。

晴れて小学校1年生の初夏。
ピアノを習う事になったのです。

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現在のレッスンの話と昔話が交錯しますが
今日は私が音楽に出会ったきっかけのお話を
書きたいと思います。

まだ赤ちゃんの頃、両親に与えられたおもちゃのピアノが
ありました。
残念ながらン十年前のものなので写真が現存しませんが
上のようなピアノで白鍵の色が1つずつ違っていて
虹のような鍵盤のピアノでした。

勿論、乳児期はただ鍵盤を「ギャン、ギャンギャン
と殴っていたのでしょうが
手先の成長発達に伴って
指の分離運動ができるようになりひとつずつの鍵盤を弾く(触る?)
ようになって行ったそうです。

ある日(母によると3歳になるかならずやの頃だったそう。)
テレビのCMに使われているフレーズを
突然弾いたのだとか。。。

自分の名前すら読めない時期。
当然楽譜が読めるワケもなく、いわゆる「耳コピ」で弾いていたのだと思います。

両親は
「末はピアニストか?作曲家か?指揮者か
と大層期待したらしいですが
タダの「楽器バカ」に育ってしまいました

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